2017-11-21 第195回国会 衆議院 本会議 第6号
県立長岡高校に進み、さらに、後に理事長になる東洋大学に進まれ、昭和四十八年に同大学を卒業。東京都内に就職後、二十八歳にて、家業の農業、畜産業を継ぐため、生まれ故郷の山古志村に帰郷されました。 長島家は十四代続いた旧家の兼業農家で、先生は、平日は長岡の建設会社に勤め、週末には田んぼや畑で汗を流すという生活を過ごされました。
県立長岡高校に進み、さらに、後に理事長になる東洋大学に進まれ、昭和四十八年に同大学を卒業。東京都内に就職後、二十八歳にて、家業の農業、畜産業を継ぐため、生まれ故郷の山古志村に帰郷されました。 長島家は十四代続いた旧家の兼業農家で、先生は、平日は長岡の建設会社に勤め、週末には田んぼや畑で汗を流すという生活を過ごされました。
その所信を、米百俵の重みをどのように考えるかということを実はきのうつらつら考えておったのですが、改めて、河村大臣、この米百俵の持つ意味、重み、新潟の今の長岡高校ですか、この学校をつくり上げてきた米百俵の重み、これは今の現在に焼き直したときにどういうふうに理解をしたらいいのか、この点、大臣にまずお聞きをしたいと思います。